駐日パレスチナ常駐総代表部
HOMEパレスチナ国のプロフィールパレスチナの歴史>西暦1000〜1899年
History of Palestine パレスチナの歴史
西暦1000〜1899年
      
西暦1517年:小アジアのオスマントルコがマムルーク朝を打ち破り、1917〜18年の冬までほとんど中断することなくパレスチナを支配し続けた。パレスチナはエルサレムのようにいくつかの地域(郡)に分割された。地域全体の統治はカナン人の子孫であるアラブ・パレスチナ人の手で行われた。キリスト教徒とユダヤ教徒のコミュニティは大幅な自治が許された。パレスチナは16世紀にはオスマン帝国の栄華を共有したが、17世紀にオスマン帝国が衰退し始めるとパレスチナも衰えていった。
西暦1831年〜1840年:近代化を推し進めたエジプト総督ムハマド・アリは、パレスチナに対する支配を拡大した。彼の方針は封建的秩序を改革し、農業を広め、教育を向上することであった。
1840年、オスマン帝国はその権威を再度回復し、自身の改革を始めた。
1845年、パレスチナにいたユダヤ人人口は、1914年までに12,000人から85,000人に増加した。パレスチナの居住者は全員がアラブ系イスラム教徒とキリスト教徒であった。

1897年、第一回シオニズム会議がスイスのバーゼルで開催され、パレスチナ入植バーゼル・プログラムが発表された。

Contact us
Copyright (c) 2004 General Mission of Palestine. All Rights Reserved.