駐日パレスチナ常駐総代表部
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Palestinian flag & national anthem パレスチナの国旗と国歌
国旗の意味

Flag 緑 白 黒 赤

赤:ハワーリジュ派はカリフ・オスマーン3世の暗殺以来最初に現れた回教徒グループであり、イスラム教の初期に初めて共和党を組織した派である。彼らのシンボルは赤旗であった。北アフリカおよびアンダルシアの征服に参加したアラブの部族は赤い旗を掲げていたが、それがアンダルシアの回教徒支配者のシンボルとなった(756年〜1355年)。
現代では赤は、預言者モハマッドの子孫であるヒジャーズ王国やハシミテ王国のシンボルとなっている。1916年6月、シャリーフ・フセインが「アラブの反乱」の旗として現在の国旗をデザインした。1917年パレスチナ人は「アラブ民族運動」の旗としてこれを掲げた。1947年には、アラブのバース党がこの旗をアラブ諸国の解放と団結のシンボルとした。パレスチナ人は1948年、ガザ地区でのパレスチナ会議でこの旗を再度採用した。この旗はパレスチナ人の旗としてアラブリーグにより承認され、さらに1964年のエルサレムにおけるパレスチナ会議でPLOやパレスチナ代表者からも承認された。

黒:預言者モハメッド(570年〜632年)
7世紀、イスラムの台頭とそれに続くメッカ解放に伴い、2つの旗(1つは白で、もう1つは黒)が掲げられた。 白い旗には「神(アラー)の他に神はなく、モハメッドは唯一の神の預言者である」と書かれていた。
イスラム以前の時代には、黒の旗は報復の印であった。黒は軍隊を率いて戦闘に行くときに頭にかぶるかぶりものの色であった。
黒と白の旗は、金曜礼拝の間、モスクに掲げた。バグダッドの支配者であったアッバシド朝(750年〜1258年)は、 預言者モハメッドの親族の暗殺を追悼し、カルバラの戦いを偲ぶシンボルとして黒をつかった。

白:ウマイヤド朝(661年〜750年)ダマスカス
90年の間支配者であったウマイヤド朝は、預言者モハメッドの最初の戦いであるバドルの戦いを偲ぶシンボルカラーとして白を使った。 彼らはまた、黒を追悼の色とするアッバシド朝から自分たちを区別するために白を用いた。
ウマイヤド朝の創始者であるモーアワ・イブン・アビ・スフィアン(661年〜750年)は、自身をエルサレムのカリフと称した。

緑:ファーティマ朝(909年〜1171年)北アフリカ
アブダラ・アルマフディによりモロッコで発見されたファーティマ朝は、北アフリカ全域を統治していた。
ファーティマ朝は預言者モハメッドの従弟であるアリへの忠義を象徴する色として緑を用いた。 アリは預言者モハメッドの代わりに緑のヘッドカバーを巻き、モハメッド暗殺の企てを食い止めた。
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